しろくろ

白く見せてるけど実は黒い、アラサー女の心境を赤裸々に描くブログ。......どうか身内には見つかりませんように。

ピラティス始めることにした

名前がすでにオシャレすぎるし、

セレブっぽい・女子力高い感じで苦手だったけど、

ピラティスを初めてみることにしました。

 

 

きっかけはFacebookの記事で、ちょっと好きなタレントさんが

ものすごいポーズをしている写真を見たこと。

「これはできるようになってみたい」と思ってチャレンジしたけど当然できずw

 

家から通える教室を探してみたら1軒だけ。

しかも1時間5000円以上という、いいお値段。

 

迷って放置していたら、状況が動いた。

尊敬する先輩と食事中に、思いがけずその話が出た。

 

聞いてみると、

彼女はちょうど最近ピラティスを始めたところ。

教室の場所も私がよく知る場所で、週1回から気軽に始めたとのことだった。

さらに、経験した立場から、スタジオの雰囲気が気に入っていることや「賑さを求める人には向かないが、自分と向き合いたい人には合っていると思う」とアドバイスをいただいた。

 

一歩踏み出せず寝かせていたことが、こんな形で膨らむとは思っていなかった。

これも何かの縁なんだろうと、その日のうちに申し込みをした。

 

私の一番の目的は、自分の体をコントロールすることと、各部位の意識を高めること。

病院では治せない、体質化してしまった症状を改善すること。

 

金銭的にも続けていけるかわからないけれど、まずは1ヶ月挑戦してみよう。

否定させているのは自分か。

愚痴に対する共感やフォローを常に否定してくる彼女にイライラ。

 

「大変でしたね」

「大変ではないんだけど、耐えられない」

 

「同僚として信頼されてないみたいで嫌ですよね」

「信頼とかはどうでもいいんだけど、仕事がやりずらい」

 

「タイミングよかったですね」

「タイミングよかったっていうか、目に余るほどだったんだよ」

 

そして数日後には

「あの時はタイミングが良かったからいいけど」

「信頼されてなくて嫌だ」

と言い始める。

 

別にわざわざ否定しなくてもよくない???

not A but B じゃなく

not A but also B でいいじゃん

こっちは「あなたにも非があるのでは?」って言葉を飲み込んで

共感しようと努めてるのに!!

 

 

 

 

・・・・・・

はい。

その気持ちが筒抜けってことなのでしょう。

ニュートラルな心で共感できてないから、

彼女が本当に受け止めてほしい部分を見れてなくて、

私が勝手に判断した表現で伝え返すから、

「そうじゃなくて、そういうことが言いたいんじゃなくて」

と逆にムキにならせてしまっているんでしょう。

 

カウンセリングではない日常会話であったとしても

そこに気づかなかった、繰り返し発生しているというのは

カウンセラー失格ですね。

 

カウンセリングマインドをもう一度振り返ることで、

日々が改善されますように。

毒を吐く女を許せなかった女

病気をして得たことも多いけど、失ったこともあるんだな。

 

毒を吐く女 - しろくろ 

この状況、本来なら

「そんなに思いつめちゃうくらい辛いんだ。

体験したことないからわからないけど、大変そうだよね。

実際、思いつめて心中する人だっているくらいだもんね。

きっと誰もが同じように悩むと思うよ。

そんな状況でもちゃんと毎日お世話して、

家事も仕事も頑張ってるなんてすごいと思うよ。

私も同じ状況になったらあなたみたいにはうまくできないかもしれないな。」

って共感したり、頑張ってることを認めたり、応援したりするのが友情なんだろうな。

 

私は病気をしたことによって、

看病・介護される側の気持ちに立ち過ぎてしまって、

する側の苦悩や葛藤に共感できなくなってしまったんだろうな。

 

だって、そういう気持ちに寄り添うということは、

私を看病してくれた家族もそうだと思うことになる気がするから。

 

私の家族は本当に献身的に看病してくれて、

「私のせいでごめんね・・・」という言葉をいつも否定してくれたから、

「お前が居なければ楽になれるのに」と心の奥では思われていたとは考えたくないし、

そう疑う事すら恩を仇で返すような気がする。

 

 

還暦過ぎた両親がアラサー娘の食事や排泄を世話するのがどれほど大変か。

入院してても、自宅療養でも、病気の家族を抱えることがいかに大変か。

病院の簡易ベッドで寝泊りしながら働くのがどんなにしんどいか。

 

どれもこれも、私の家族は

「お前のためなら頑張れる。家族みんなで乗り越えよう。」

と言って笑い飛ばしてくれた。

苦労しかかけない私でも

「それが家族だよ」「いるだけでいいんだよ」と言ってくれた。

 

家族ってなんてありがたいんだろう。

どんな状況になっても、どんな状態になっても、

家族だけは変わらず私を大事だと言ってくれるんだ。

だから私もみんなのために元気になろう。

もし元気になれたら、今度は私がみんなに恩返しをして行こう。

 

そう思った一年だったから、

「介護する側がこんなに負担に感じているのに、自分の都合だけで延命を希望する気持ちが理解できない」

って言葉には共感できなかった。

 

彼女は本当はそこが言いたいんじゃなくて、

それくらい追い詰められた状況下でも

自分は頑張ってるんだってことをわかって欲しくて、

頑張ってる自分をちょっとだけ誰かに認めて欲しかっただけなんだろうけど。

 

私の逆鱗に触れてしまって、

単なる愚痴として受け流してあげることができなかったな。

 

過去のことに囚われて、今まさに苦しんでる友人を支えてあげられなかった。

私の方が自己中で冷たい女なのかもしれないなー。

毒を吐く女

学生時代の友人と最近交流が増えた。

 

当初は「何年経っても当時のような関係に戻れる」と喜んでいたけれど、

それぞれ大人になったんだと実感する出来事もしばしば。

 

良いことだけじゃないのが悲しい・・・・。

 

何が一番しんどいって、聞かされる話がディープすぎる。

恋愛事情。仕事に対する不満。

家族の介護問題。

 

テーマは至って一般的だけれど、 

「その話、私にする?」

って引いてしまうほど腹黒さ全開。

 

現在フリーの彼女にとって、私が彼氏みたいなポジションになっちゃってるのかな?

 

確かに私も夫に見せる自分はだいぶ黒い。

冷酷で自己中で排他的で人を見下している。

 

けど、それはあくまでも

恋愛感情や家族愛がある間柄だから見せているものであって、

身内だから許される表現なのであって、

 

友人として、対外的な言葉として聞いている私としては、

「たとえ思ってても言わないでしょ。」と

彼女の人間性に対する評価がダダ下がり。

 

特に気分が悪いのは家族の話。

「要介護の家族が夜中に体調悪化してブザーを鳴らしたせいで、

一晩中対応させられた。

あんな状態(要介護5)になってまで生きたい気持ちがわからない。

私だったら家族に迷惑かけたくないから死ぬ道を選ぶ。

"あの人"は自分が苦しみから逃れるために、

今後何十年も家族に介護させる道を選択をした。

介護する家族の負担を考えてほしい。

"あの人"の存在が足かせになっている。

家族に要介護者がいるせいで、結婚してくれる人がいない。

死にゆく人のせいで、人生これからの私の未来を潰されたくない。」

 

30歳独身で家族の介護が日常に舞い降りてきたら、

これが正直な気持ちなのかな。

 

大病を患って寝たきりに近い状態を味わった私としては、

彼女ではなく"あの人"に感情移入してしまう。

 

家族に「死んでくれればよかったのに」と思われていると知ったら、

悲しみや孤独感に打ちひしがれ、

愛する家族にそんな感情を抱かせてしまった自分を呪い、

一生分の涙を流した後に、

笑顔で死を選ぶと思う。

  

 

ピンピンコロリを誰だって望んでる。

けど病気は思いがけずやってくる。

家族に迷惑をかけたくないと思っていても、

日々悪化していく体に焦りと不安が押し寄せて、

家族との時間だけが心の支えになる。

 

死を受け入れようと思っても、

実際に死が目の前に迫ってくる瞬間は

苦しくて怖くて助けを乞わずにはいられない。

 

辛くて、いっそ楽になりたいと思っても、

身を削って看病してくれる家族を思うと、

その苦労を無駄にするようで、命を粗末にできない気持ちにもなった。

 

だから、助けを求め生き延びたことを非難する言葉を聞くとつらい。

いくら介護疲れした家族だからって、言って良い事と悪いことがあるんじゃないのか。

・・・・・・・いや、結局私は"する側"になったことがないから、

家族に対してそこまで冷酷になってしまう、

そこまで追い込まれてしまう気持ちが理解できてないのかな。

だから良いとか悪いとか、許されるとか権利とか、

そんなことを言及する資格もないのかもしれない。

 

だとしても、家族に対してそう思っていることを、

平然と(のように見えるだけだけど)

罪悪感もなく(のように見えるだけだけど)

話せてしまう彼女に抵抗を感じる。

 

この子って、そんなに冷たい自己中な子だったんだなって。

 

”あの人”の介護が本当に迷惑だと思うなら、

はっきり言ってあげればいいのに。

そしたらきっと彼女が望むように

「家族の将来のために、今苦しんで死ぬ道」を選んでくれるだろう。

 

けどきっと、彼女が私に話してることは結論ではなくて、

家族には言えないドロドロした気持ちを吐き出しながら、

自分と家族を振り返り、自分の気持ちを再確認し、

ガス抜きをしているってことなんだろう。

 

きっと、今日も家に帰って

笑顔で"あの人"の世話をするのだろう。

英語ができないと嘆く必要があるのか

旅行に行かない人は、旅行に行けないと嘆く必要はない。

 

心理学的にはこうだ。

 

そうであるならば、

英語を正しく使う・TOEICで高得点を出すことが絶対的に必要でない人は、

それらができないことを嘆く必要はないのではないか。

 

私は外国人教授に指導を受け、英語での論文執筆や

国際学会での発表経験がある。

それでも英語が得意ではない。

 

使わなければならない局面になれば、

頑張って読むし、翻訳機を使ってでも書くし、身振り手振りを交えて話す。

その程度だ。

 

決して得意だと公言することもできないし、

得意だと思われても困るくらいの水準でしか使いこなせていない。

それでも現状困ってはいないのだ。

 

もちろん、TOEICで600点取れれば年収+200万のポストにキャリアアップできる。

翻訳や作文の仕事を斡旋してくれるという話もある。

収入を安定させるために現状一番手っ取り早い方法だ。

 

それでもなかなか勉強がはかどらないのは、

私にとって、真に魅力的な見返りではないのだろう。

 

となるとやはり冒頭のように、

自分にとって必要でないものが無いことを嘆く必要はないのだろう。

 

だから私は「英語ができない」と嘆くよりも、

「困らない程度に使える」という考え方にシフトしていきたい。

黒歴史

若き日を知る友人と数年ぶりの再会。

「しろくろって男関係やばかったよね。」

と知り合ったばかりの子の前で暴露話。

褒めてる風な、武勇伝的なトーンで話すから女って怖い。

 

ハタチ前後の頃、私の恋愛は荒れていて、

自伝でも書けるんじゃないかってくらいのレベルでイベントが起きていた。

 

それでもあの頃はそんな自分を俯瞰して見ていて、

「私の不幸な話を聞いて、自分はまだ幸せだと思ってくれればいい」と

女友達に打ち明け話をしていた。

今から考えるとモテ自慢に受け取られていたかもしれない。

 

そんな私も旦那と出会い、早6年半。

色恋の「い」の字もないほど安定した生活を送っている。

 

だからこそ、

そんな昔の話を引っ張り出して来ちゃうの?

っていう驚きと、

私にとっては過去だけど、彼女にとっては冷めやらぬ衝撃なんだな

っていう新しい発見。

 

当時よっぽど強い衝撃を受けたんでしょう。

それは「かわいそう」「大変だね」という感情ではなく、

きっと「このレベルの女がなぜ」とか

「みんなこの女の正体を知らなすぎる」とか

「あれだけのことをしておいてなんで痛い目を見ないのか」とか

そういうドロドロとした感情なんだろうな。

 

こういうことを理解できるようになったのは、

私にもそう思う女性ができたからで、

そういう意味では嫌いなあの子に感謝しなければならないな。

 

なんだか色々なことに思いを馳せる都会の夜。

新幹線

1年4ヶ月ぶりの新幹線は快適。

 

ローカル線は高速バス並みにしんどかったけど。

 

移動中にPCで作業していることにかっこよさを感じつつ、

実際に出張が多い仕事はできなかっただろうなとも思う。

 

夫がいなければできたのだろうか?

でも独り身でいることができない性格だから、

結局誰かと一緒に生活していることには変わらないんだろうなー。