英語ができないと嘆く必要があるのか
旅行に行かない人は、旅行に行けないと嘆く必要はない。
心理学的にはこうだ。
そうであるならば、
英語を正しく使う・TOEICで高得点を出すことが絶対的に必要でない人は、
それらができないことを嘆く必要はないのではないか。
私は外国人教授に指導を受け、英語での論文執筆や
国際学会での発表経験がある。
それでも英語が得意ではない。
使わなければならない局面になれば、
頑張って読むし、翻訳機を使ってでも書くし、身振り手振りを交えて話す。
その程度だ。
決して得意だと公言することもできないし、
得意だと思われても困るくらいの水準でしか使いこなせていない。
それでも現状困ってはいないのだ。
もちろん、TOEICで600点取れれば年収+200万のポストにキャリアアップできる。
翻訳や作文の仕事を斡旋してくれるという話もある。
収入を安定させるために現状一番手っ取り早い方法だ。
それでもなかなか勉強がはかどらないのは、
私にとって、真に魅力的な見返りではないのだろう。
となるとやはり冒頭のように、
自分にとって必要でないものが無いことを嘆く必要はないのだろう。
だから私は「英語ができない」と嘆くよりも、
「困らない程度に使える」という考え方にシフトしていきたい。